あるペンギンの国内近代建築めぐり

主に京都市を中心とする近代建築に関する調査・探訪の記録まとめ。

カテゴリ: 昭和初期

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新潟市に残る貴重な古典様式の銀行建築。解体寸前まで話が進んだところを、みなとぴあに移築復元された。

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花崗岩を積み上げた外壁に、イオニア式の巨大オーダーを4本持っている。上部はデンティルを配置しており、お手本のような昭和初期の銀行建築といった具合であり威厳を感じさせる。

ギリシャ風の装飾
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内部は解放されており、一階はレストラン、二階は貸しスペースとなっている。
吹き抜け構造の営業所区画(現レストラン)が特別に美しい。正面の大扉をくぐり左右の扉を開けて中に入る二重扉の玄関構造は日銀京都支店でも見かけたものである。

二階のステンドグラス
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点対称の正方形、ひし形を軸に植物をモチーフに描いており曲線美とは異なる雰囲気をもつ。

貴賓溢れる一室
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当時の遺構
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新潟市の中心部には数十件近くのレトロ建築が残されているが、明治期の木造館が多い。絢爛豪華なコンクリート造建築は貴重というかこれしかないレベルなので保存されて本当に良かった。

所在地:新潟県新潟市中央区柳島町2-10
竣 工:昭和2年(1927) 
構 造:鉄筋コンクリート造2階建て
設計者:長谷川龍雄
撮 影:2019年9月23日

以前から気になっていたが、思いきって牧師に電話してみたら呆気なく内覧がOKされた。

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国内でもかなり珍しい純和風教会建築。昭和12年(1937)の竣工。同系列の日本聖公会奈良教会は重要文化財となっており、本件も間違いなく文化財級の建物ではあるが、制約が増えるため検討していないという。
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2階が礼拝堂として使用されている。正面のキリスト像は鎌倉彫り。小屋組はシザーズトラス。純和風に見せて中の組み方はバキバキの洋風建築なのは近代建築にはありがち。

京都という土地で教会を建てるとき、排他的ではなく多様性でなくてはならないという信念があり色々とチャンポンな形式になったらしい。

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南面のみ黄色の磨りガラスとなっている。長年の使用で破損していったそうで、北面は無色のものとなっている。これのおかげで堂内は温かみのある空間になっている。

椅子も竣工当初のものだが、3年ほど前に板を改修したらしい。

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改めて外観。瓦の軒模様が十字架、鬼瓦はノアの箱船からの引用で鳩とオリーブがあしらわれている。


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こちらは昭和11年(1936)竣工の牧師館。牧師の自宅として現在も使用されている。牧師は付属幼稚園の園長も兼ねているので秒で出勤できると自慢していた。

牧師の話によると設計者が奈良の教会と同じらしい。「京都市の近代化遺産」によると桃山教会は野田音蔵、一方の奈良教会は大木吉太郎である。大工なのは間違いないと思うがどうなんだろう。
他にも、元々御香宮神社の土地だったという説があるが神社側が否定していることや、神社と間違えて参拝する人が稀にいることなど貴重な話を沢山伺えた。

文化財指定、登録は検討していないが来年は屋根瓦を葺き替える予定であり、改造しながらも大切に扱っていく姿勢がよく分かった。突然の単騎突撃でも温かく出迎えて下さった牧師には感謝しかない。

所在地:京都市伏見区御香宮門前町184
竣 工:昭和12年(1937)
構 造:木造2階建て
設計者:野田音蔵
撮 影:2020年2月22日

5月は東京の春ティアに落選し、初の関西ティアに参加し…と新鮮な経験をしました。
今回の新刊は中京区をまとめたもので、関西頒布ということもあってか初の完売となりました。
ありがとうございました。

さて、なぜ今更に記事を更新するのか。単純な話、追加物件が見つかったからである。

(個人宅)
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所在地:壬生西大竹町
竣 工:昭和4年(1929)
構 造:木造2階建て
撮 影:2018年12月

前面を六角形の木タイルで覆った唯一無二の外観をしている。閑静な住宅街の中でこのデザインはインパクト大である。

「京都市の近代化遺産」には報告が無いため先日の新刊では掲載を見送ったが、明らかに異形な外観をしていたため念のため撮影はしていた。今にして思えば玄関ポーチのデザインは明らかにレトロである。

恥ずかしながら何故今更になって気が付いたのか。先日(自宅から自転車)で国会図書館に行き伏見区の事前調査をしていたときに、「京都府の近代和風建築」という調査報告書を見つけてしまったからである。この本に載っているということは内装は普通の近代和風住宅なのだろう。

竣工年に関しては、聞き取りで分かったことらしい。壬生西大竹町にはこの住宅以外にも昭和初期と思われる住宅が数棟残っている。デザインが酷似している家が並んでいるので、昭和初期に不動産業者が開発し住宅街として売り出したのだろう。以下は全て同町のレトロ建築である。

(シェアハウスkimulala)
近1345_山口正太郎邸・西村富美・秋山律三邸

(個人宅) 
近1348_松浦弘邸 (1)

(個人宅)
近1349_宮本修一邸 (3)

(永巧舎)
近1344_豊田明三郎邸 (4)

(ル・マチヤ壬生)
近1342_ルマチヤ壬生 (1)

ちなみに大正11年の地図では清々しいレベルで湿地帯が拡がっているが、昭和4年には今の住宅街とほぼ同じ形になっている。聞き取りの昭和4年竣工はかなり信憑性が高そうである。

(大正11年)
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(昭和4年)
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(現在)
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壬生は明治維新の頃には湿地帯が拡がる(というよりほぼそれしかない)地域だったが、昭和の中頃までに徐々に開発が進み今ではその頃の面影が殆ど見られないほどの住宅街となっている。

近124_沢井振興堂 (2)

近124_沢井振興堂 (1)

2009年~2013年に大幅な改装が施されており、外見は戦前のものと思えないものになっている。近代化遺産に報告が無かったら絶対に気が付かなかった……

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(2009年のストリートビューより)

ストリートビューで辛うじて改装前の姿を拝むことができる。劣化したモルタルが剥き出しのいかにもな建物だった。これなら戦前の建物だと一発で分かるだろう。ここまで大幅にリニューアルされて生き残るパターンは珍しい。近代建築好きの自分が言うのもなんだが、建て替える発想は無かったのだろうか…

所在地:京都市中京区左京町124
竣 工:昭和初期
構 造:木造3階建て
設計者:不詳

二條橋 (1)

世界遺産二条城の近くに残る戦前竣工の橋。こういった橋は「京都市の近代化遺産」の産業遺産編で報告されるはずだが、何故か登録されていない。二条橋で検索すると親切なグーグルは東京の二重橋を出してくれたり、鴨川の方の二条大橋がヒットしたりして、堀川の二条橋の情報に辿り着けない。試される検索力。

二条堀川橋は江戸時代後期の浮世絵集「都名所百景」にも取り上げられている名所であった。

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(画像は佛教大学図書館デジタルコレクション『都名所百景』より)

江戸時代はかなりの水量を誇っていたが、明治以降の度重なる治水工事で殆ど水が流れなくなったり、川自体が暗渠化した時代もあったりした。近年になって地域住民の要望で開渠化して、水の流れも復活したらしい。

橋自体は都百景に描かれた当時のものは残されていないし、橋の土台自体も近年になって建て替えられ欄干部分のみが再利用されている形だが、二条城の前にあることは変わらない。


所在地:京都市中京区矢幡町
竣 工:昭和3年(1928) 
構 造:鉄筋コンクリート造
設計者:不詳
撮 影:2018年8月

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