5月は東京の春ティアに落選し、初の関西ティアに参加し…と新鮮な経験をしました。
今回の新刊は中京区をまとめたもので、関西頒布ということもあってか初の完売となりました。
ありがとうございました。

さて、なぜ今更に記事を更新するのか。単純な話、追加物件が見つかったからである。

(個人宅)
IMG_0184
所在地:壬生西大竹町
竣 工:昭和4年(1929)
構 造:木造2階建て
撮 影:2018年12月

前面を六角形の木タイルで覆った唯一無二の外観をしている。閑静な住宅街の中でこのデザインはインパクト大である。

「京都市の近代化遺産」には報告が無いため先日の新刊では掲載を見送ったが、明らかに異形な外観をしていたため念のため撮影はしていた。今にして思えば玄関ポーチのデザインは明らかにレトロである。

恥ずかしながら何故今更になって気が付いたのか。先日(自宅から自転車)で国会図書館に行き伏見区の事前調査をしていたときに、「京都府の近代和風建築」という調査報告書を見つけてしまったからである。この本に載っているということは内装は普通の近代和風住宅なのだろう。

竣工年に関しては、聞き取りで分かったことらしい。壬生西大竹町にはこの住宅以外にも昭和初期と思われる住宅が数棟残っている。デザインが酷似している家が並んでいるので、昭和初期に不動産業者が開発し住宅街として売り出したのだろう。以下は全て同町のレトロ建築である。

(シェアハウスkimulala)
近1345_山口正太郎邸・西村富美・秋山律三邸

(個人宅) 
近1348_松浦弘邸 (1)

(個人宅)
近1349_宮本修一邸 (3)

(永巧舎)
近1344_豊田明三郎邸 (4)

(ル・マチヤ壬生)
近1342_ルマチヤ壬生 (1)

ちなみに大正11年の地図では清々しいレベルで湿地帯が拡がっているが、昭和4年には今の住宅街とほぼ同じ形になっている。聞き取りの昭和4年竣工はかなり信憑性が高そうである。

(大正11年)
2019-08-01

(昭和4年)
2019-08-01 (1)

(現在)
2019-08-01 (2)

壬生は明治維新の頃には湿地帯が拡がる(というよりほぼそれしかない)地域だったが、昭和の中頃までに徐々に開発が進み今ではその頃の面影が殆ど見られないほどの住宅街となっている。