あるペンギンの国内近代建築めぐり

主に京都市を中心とする近代建築に関する調査・探訪の記録まとめ。

タグ:近代建築

日米修好通商条約を含む安政五カ国条約に基づいて開港された五港のうち、唯一現存する遺構として国重要文化財、国指定史跡に指定されている。

【安政五カ国条約】
安政5年(1858)に幕府が勅許を得ないままアメリカ、オランダ、イギリス、ロシア、フランスとそれぞれ結んだ不平等条約。
・函館、下田に加え神奈川(横浜)、長崎、新潟、兵庫(神戸)の開港
・領事裁判権を認める
・関税自主権が無い
など全14条からなる。下田港は横浜の開港により廃港された。


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明治2年の竣工であり、東日本に現存する最古の近代建築を自称する。新潟市教育委員会は熱烈な反幕派なのか、韮山反射炉(安政4年造)はノーカンらしい。考えすぎかもしれないが土木遺産と建築物を分けてるという良心的な解釈もできる。

地元大工が頑張って洋風建築を目指した擬洋風建築と呼ばれる様式の中でも最初期に当たるものであり、他の擬洋風建築と比べ和風の要素が強い。格子状のナマコ壁、中央の塔屋は江戸時代の「時の鐘」を思わせる2層の櫓となっている。
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そういった和風要素だけと思わせて、窓はべんがら塗りのウエスタンな両開きの鎧戸、正面に楕円のアーチ、ランプ灯部分には漆喰の円形レリーフと洋風要素を取り入れている。
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多くの擬洋風建築と同じく大工たちは江戸や横浜の洋風建築を参考にしたそうだ。完全な和風ではなく洋風に寄せたのは、貿易に訪れる外国船に舐められないようにという意図があったのだろう。

新潟港は列強の要求する日本海側かつ波風立たない幕府直轄地であることから選ばれたが、水深が浅く使い勝手が悪いことからあっという間に閑古鳥。逆にそのおかげで建物が更新されずに残ったともいえるので皮肉である。

旧新潟税関跡地は現在みなとぴあとして整備されており、場内には以前取り上げた旧第四銀行住吉町支店も移築されている。


所在地:新潟県新潟市中央区柳島町2-10
竣 工:明治2年(1869) 
構 造:木造平屋建て
設計者:不明
撮 影:2019年9月23日

「相楽園」の中にある旧小寺家厩舎は、明治期の洋館が並ぶ北野異人館や近代ビルが並ぶ旧居留地区画からは少し離れた所にある。「日本一美しい厩舎」と称されるが比較対象がそもそも少ない。
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赤レンガ造で円塔を西側に起きL字型の平面となっており、細部まで拘ったドイツ民家風の意匠である。一階が煉瓦造、2階が木骨煉瓦造となっており高い天井をキングポストトラスとクイーンポストトラスで支えている。
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竣工は明治40年代とされている。家屋台帳には明治45年(1912)に新築とする旨が記載されているが竣工年ははっきりしない。

この建物がある「相楽園」は市内唯一の日本庭園型の都市公園として整備されているが、前身は実業家として財をなした三田藩士、小寺泰次郎の私邸。戦前の時点で神戸市に譲り渡し公園として整備されていたが神戸大空襲で厩舎を残して焼失した。厩舎の建設を依頼したのは、後の神戸市市長、小寺謙吉(1877~1949)である。

小寺謙吉
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※Wikipediaより

厩舎の隣には旧ハッサム住宅(重要文化財)が移築されている。
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設計の河合浩蔵(1856~1934)は神戸や大阪で活躍した明治期の建築家。工部大学校(現東大工学部)でジョサイア・コンドル(代表作は鹿鳴館や岩崎邸)の下で学び、その後ドイツ留学、司法省技師や内務省技師として作品を残していった。神戸で現存する建物は他に神戸地裁(ファサード保存)、海岸ビル(ファサード保存)、海岸ビルヂングがある。

河合浩蔵
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※Wikipediaより

神戸地方裁判所庁舎
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海岸ビル
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海岸ビルヂング
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大阪も含め数棟が現存するが重要文化財指定は小寺家厩舎のみ。何故この建物が重要文化財指定なのか、理由は見つからなかったが本格的な洋風建築の厩舎は全国的にも珍しい遺構だからだろう。

所在地:神戸市中央区中山手通5-3-1
竣 工:明治40年代 
構 造:煉瓦造2階建て(一部木骨煉瓦造)
設計者:河合浩蔵
撮 影:2020年2月24日

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新潟市に残る貴重な古典様式の銀行建築。解体寸前まで話が進んだところを、みなとぴあに移築復元された。

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花崗岩を積み上げた外壁に、イオニア式の巨大オーダーを4本持っている。上部はデンティルを配置しており、お手本のような昭和初期の銀行建築といった具合であり威厳を感じさせる。

ギリシャ風の装飾
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内部は解放されており、一階はレストラン、二階は貸しスペースとなっている。
吹き抜け構造の営業所区画(現レストラン)が特別に美しい。正面の大扉をくぐり左右の扉を開けて中に入る二重扉の玄関構造は日銀京都支店でも見かけたものである。

二階のステンドグラス
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点対称の正方形、ひし形を軸に植物をモチーフに描いており曲線美とは異なる雰囲気をもつ。

貴賓溢れる一室
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当時の遺構
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新潟市の中心部には数十件近くのレトロ建築が残されているが、明治期の木造館が多い。絢爛豪華なコンクリート造建築は貴重というかこれしかないレベルなので保存されて本当に良かった。

所在地:新潟県新潟市中央区柳島町2-10
竣 工:昭和2年(1927) 
構 造:鉄筋コンクリート造2階建て
設計者:長谷川龍雄
撮 影:2019年9月23日

近代建築は昔から好きでしたが、実は今まで行ったことが無かった神戸を観光してきました。一日かけて北野異人館を練り歩いた中から、気になったものをいくつか挙げる予定です。異人館の建物の多くは書籍やブログでまとまっているでしょう。

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風見鶏の館から北に数分、急峻な坂道を登った先にたたずんでいます。まさかの廃墟です。工事用フェンスが建物を取り囲んでいます。フェンスも倒れており何か物々しい空気です。

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東側のドーマーに至っては完全に抜け落ちてます。
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廃墟化しているとは知らずに行ったので衝撃的な光景でした。数年前は高い塀に囲われて撮影が難しかったようですが、今は塀はありません。写真には映っていないですが、煉瓦造の外階段は片側が崩落しています。数年前の写真でも同じ状況です。

大正8年(1919)の竣工と、明治の建物が多い異人館の中では結構新しい。それでも建物全体の仕様は、他と同じくベランダ・コロニアル様式です。ひし形の窓枠も他の異人館と共通してます。
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かつては公開異人館でしたが、1995年の阪神淡路大震災以降、非公開です。震災の影響は凄まじく、異人館は約3割が消失したらしいです。現在は三十数件が残っているみたいです。

所在地:神戸市中央区北野町2-13-15
竣 工:大正8年(1919) 
構 造:木造2階建て
設計者:不詳
撮 影:2020年2月24日

以前から気になっていたが、思いきって牧師に電話してみたら呆気なく内覧がOKされた。

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国内でもかなり珍しい純和風教会建築。昭和12年(1937)の竣工。同系列の日本聖公会奈良教会は重要文化財となっており、本件も間違いなく文化財級の建物ではあるが、制約が増えるため検討していないという。
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2階が礼拝堂として使用されている。正面のキリスト像は鎌倉彫り。小屋組はシザーズトラス。純和風に見せて中の組み方はバキバキの洋風建築なのは近代建築にはありがち。

京都という土地で教会を建てるとき、排他的ではなく多様性でなくてはならないという信念があり色々とチャンポンな形式になったらしい。

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南面のみ黄色の磨りガラスとなっている。長年の使用で破損していったそうで、北面は無色のものとなっている。これのおかげで堂内は温かみのある空間になっている。

椅子も竣工当初のものだが、3年ほど前に板を改修したらしい。

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改めて外観。瓦の軒模様が十字架、鬼瓦はノアの箱船からの引用で鳩とオリーブがあしらわれている。


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こちらは昭和11年(1936)竣工の牧師館。牧師の自宅として現在も使用されている。牧師は付属幼稚園の園長も兼ねているので秒で出勤できると自慢していた。

牧師の話によると設計者が奈良の教会と同じらしい。「京都市の近代化遺産」によると桃山教会は野田音蔵、一方の奈良教会は大木吉太郎である。大工なのは間違いないと思うがどうなんだろう。
他にも、元々御香宮神社の土地だったという説があるが神社側が否定していることや、神社と間違えて参拝する人が稀にいることなど貴重な話を沢山伺えた。

文化財指定、登録は検討していないが来年は屋根瓦を葺き替える予定であり、改造しながらも大切に扱っていく姿勢がよく分かった。突然の単騎突撃でも温かく出迎えて下さった牧師には感謝しかない。

所在地:京都市伏見区御香宮門前町184
竣 工:昭和12年(1937)
構 造:木造2階建て
設計者:野田音蔵
撮 影:2020年2月22日

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